餅文のあゆみ

360余年の時を経て
確かな味わいを

大正時代の看板当時活躍されていた書道家、石田泉城先生の書

名古屋名物として親しまれているういろ。
漢字にすると「外郎」または「外良」と書く。語源は約六百年前にさかのぼる。
応安年間、元の国の礼部員外郎職(薬を扱う職)だった陳宗敬が日本に帰化した際、筑前博多に伝えた痰止めの秘薬「透頂香」の別名。
菓子の方は(外郎もち)といわれたが、黒砂糖を使い、薬の外郎によく似ているのでこの名がついた。
名古屋に伝わったのは、尾張藩の御用商人だった(餅文総本店)の初代餅屋文蔵が二代目藩主徳川光友の知恵袋として仕えた明の国出身で書、医学、菓子の知恵が深かった陳元贇から製法を教わったのが始まり。
以来初代の製法を守り、その風味を絶やすことなく、今日の皆様方にお届けしております。

江戸時代の瓦版「新版名府宝づくし」
当時の観光ガイドで熱田神宮や名だたる銘店が
記載されている。

終戦直後に作られた看板